ソフトウェアが指揮を執る | 序章 | カルチュラル・ソフトウェア
序章
カルチュラル・ソフトウェア
ドイツのメディア・文芸理論家のフリードリヒ・キットラーは、現在の学生に少なくとも二つのソフトウェア言語を覚えたほうがよい、それでようやく「現在の「文化」について語ることができるようになる1」と書いた。 キットラー自身はアセンブラ言語の教育を受けている。 このことはおそらくグラフィカル・ユーザ・インタフェースとそのインタフェースを使ったモダンなソフトウェア・アプリケーションに対する彼の不信に影響を与えている。 古典的なモダニスト行動のなかで、キットラーはコンピュータの「本質」に着目する必要があることを議論した。 キットラーにとって、それは算術的かつ論理的な基礎であり、アセンブラ言語のようなツールによって特徴づけられている草創期の歴史を意味していた。
本書は、プログラマー、コンピュータ・アニメーター、デザイナー、メディア・アーティスト、教師としてコンピュータと関わりあった私自身の来歴の影響を受けている。 その関わりあいは、1980年代初頭から始まった。 当時は、アセンブラ・プログラミングよりも、手続き型プログラミング(Pascal)の年代だった。 また、PCの登場、デスクトップ・パブリッシングの出現と普及、何人かの文芸研究者によるハイパーテキストの使用がみられた年代でもあった。 じっさい、私がモスクワからニューヨークに来た1981年は、IBMが同社初のPCを発表した年だった。 Apple IIe上でコンピュータ・グラフィックスを初めて体験したのは、1983、4年のことだった。 1984年に、私ははじめて商業的成功をおさめたApple Macintosh上に実装されたグラフィカル・ユーザ・インタフェースを見た。 同じ年、世界初のコンピュータ・アニメーション企業のひとつであるデジタル・エフェクト社の職を得た。 ここで3次元のコンピュータ・モデルとアニメーションのプログラム方法を学んだ。 1986年、私は、写真を自動的に絵画風にするコンピュータ・プログラムを書いていた。 1987年1月、アドビ・システムズはIllustratorを出荷し、続いて1989年にはPhotoshopを出荷した。 同年、ジェームズ・キャメロン監督の『アビス』が公開された。 この作品は、複雑なヴァーチャル・キャラクターを作るため画期的なCGIを使った初の映画だった。 そして、1990年のクリスマスには、ティム・バーナーズ=リーが、現存するワールド・ワイド・ウェブのすべての構成要素(コンポーネント)であるWebサーバ、Webページ、Webブラウザをすでに作っていた。
つまり、1980年代を通じてコンピュータは、文化的に不可視のテクノロジーから文化の新しいエンジンへと変化したのだ。 この進展にはハードウェアの発達とムーアの法則が重大な役割を果たしたが、より重要なことは、非技術者を対象としたグラフィカル・ユーザ・インタフェース(GUI)をそなえたソフトウェアの登場だった。 ワード・プロセッシング、製図、ペイント、3次元モデリング、アニメーション、作曲、編集、情報管理、ハイパーメディアとマルチメディア制作(HyperCard、Director)のためアプリケーション、世界規模のネットワーク(ワールド・ワイド・ウェブ)。 使いやすいソフトウェアが整い、舞台は、多くの文化産業−−グラフィック・デザイン、建築、製品デザイン、空間デザイン、映画制作、アニメーション、メディア・デザイン、音楽、高等教育、文化マネジメント−−が徐々にソフトウェア・ツールを採用した1990年代という次の10年へのセットとなった。 したがって、私はモスクワの高校生だった1975年に初めてプログラムを学んだとはいえ、 私にとってのソフトウェア・スタディーズは、1980年代を通じて、GUIベースのソフトウェアがいかに文化の中心へコンピュータを導入させたのかを観察することから形成されたのだ。
もしソフトウェアを、その社会的影響の意味から本当に内燃機関や電気の現代的等価物とみなすなら、すべてのタイプのソフトウェアが考慮されなければならない。 消費者が使う「見える」ソフトウェアだけでなく、現代社会のあらゆるシステムやプロセスで実行されている「グレー」なソフトウェアも考察しなければならない。 しかしながら、私は物流ソフトウェアや産業用の自動化ソフトウェア、その他「グレー」なソフトウェアについて書く個人的な経験がない。 私の関心はソフトウェアのなかの特定部分であり、それは私の専門的活動で使用し教えたものだ。 私はそれをカルチュラル・ソフトウェアと呼ぶ。
「カルチュラル・ソフトウェア」という用語は、以前にも比喩的に使われていたが (J・M・バルキン著『Cultural Software: A Theory of Ideology』(2003)を参照)、私はこの用語を、我々が通常「文化」と連想する活動をサポートする特定のソフトウェアの種類をさすものとして使っていく。 ソフトウェアが可能にした文化的諸活動は、いくつかのカテゴリーに分類することができる(もちろん、これは数あるうちの一つの考えうる分類であることに留意してほしい)。
- 表象、概念、信仰、美的価値を含んだ文化的作品やインタラクティヴなサービスの制作 (ミュージックビデオの編集、製品パッケージのデザイン、Webサイトやアプリの設計など)。
- そうした作品(の一部)のオンライン上でのアクセス、追加、共有、リミックス (Web上の新聞講読、YouTubeヴィデオの試聴、ブログ記事のコメントの追加など)。
- オンラインの情報や知識の制作や共有 (Wikipedia項目の編集、Google Earth上の場所の追加、ツイート内のリンク掲載など)。
- 電子メール、インスタント・メッセージ、ボイス・オーバー・IP、オンライン・テキスト、ビデオ・チャット、ソーシャル・ネットワーキングの機能(ウォール投稿、ポーク、イベント、写真タグ、ノート、場所など)を使った他者との交流。
- インタラクティヴで文化的な経験への参加 (コンピュータ・ゲームのプレイなど)。
- 好みを表明したりメタデータを追加したりすることでのオンラインの情報生態系へ参加 (Google検索の利用時の新情報の自動生成、Google+の「+1」ボタンやFacebookの「いいね」ボタンのクリック、Twitterの「リツイート」機能の使用など)。
- これらすべての活動をサポートするソフトウェア・ツールやサービスの開発 (インターネットを通じてデータの送受信を可能にするProcessingのためのライブラリのプログラミング、Photoshopのプラグインの開発、WordPressのテーマの制作など)。
技術的には、このソフトウェアは多様な方法で実装されうる。 (「ソフトウェア・アーキテクチャ」としてのコンピュータ産業によれば) 一般的な実装には、ユーザーのコンピュータ機器で実行されるスタンドアローンのアプリケーションや配布型アプリケーション(サーバー上のソフトウェアと通信するユーザーの端末上で動作するクライアント)、ピア・トゥ・ピア・ネットワーク(どのコンピュータもクライアントにもサーバーにもなる)が含まれる。 これらにまったく馴染みがなくても心配はいらない。 1990年代と2000年代にメディア・オーサリングを独占したIllustrator、Photoshop、After Effectsのような単一のデスクトップ・アプリケーションだけではなく、プロダクトやネットワーク・サービスの広い範囲をあつかう用語としての「カルチュラル・ソフトウェア」を理解すれば十分だ。 例えば、企業のサーバ上で動作しているプログラムやデーターベース群をふくむFacebookやTwitterのようなソーシャル・ネットワーク・サービス(ある推計によると2007年のGoogleは世界中に100万台以上のサーバーを稼働していた)、これらのサービス上で、電子メールの送信、チャット、近況投稿、ビデオ投稿、コメント投稿、そのほかの行為をするために人々が使っているプログラム(「クライアント」とよばれる)(ユーザーはtwitter.comだけでなく、tweetdeck.com、iOSやAndroidのTwitterアプリ、そのほか何十ものサードパーディのWebサイトやアプリを使ってTwitterにアクセスできる)。
序章
- メディアの理解
- ソフトウェア、すなわち現代社会のエンジン
- ソフトウェア・スタディーズとは
- カルチュラル・ソフトウェア
- メディア・アプリケーション
- 文書からパフォーマンスへ
- カルチュラル・ソフトウェア史が存在しない理由
- 本書の構成
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Friedrich Kittler, ‘Technologies of Writing/Rewriting Technology, ’Auseinander1, no. 3 (Berlin, 1995), quoted in Michael Truscello, “The Birth of Software Studies: Lev Manovich and Digital Materialism,” Film-Philosophy 7, no. 55 (December 2003), http://www.film-philosophy.com/vol7-2003/n55truscello.html↩