序章

文書からパフォーマンスへ

ソフトウェアの利用はもっとも基本的な社会的で文化的な実践を再構成し、それらを説明するために開発した概念や理論の再検討を迫る。 この一例として、文化的創造、配信、記録の現代的「原子(アトム)」を考える。 「文書」、すなわち物理的な形式で保管されたなんらかのコンテンツ、それは物理的複製(本、フィルム、音楽レコード)または電子的配信(テレビジョン)を通じて消費者に届けられる。 ソフトウェア文化では、我々はもはや20世紀の用語「文書」、「作品」、「メッセージ」、「録音」を持たない。 それらの構造とコンテンツの検査で分析できる固定した文書にかわって(20世紀の文化分析と理論の典型的な変化に、ロシア・フォルマリズムから文学ダーウィニズムがある)、いまでは動的な「ソフトウェア・パフォーマンス」と関わりあう。 「パフォーマンス」という語を使う理由は、私たちが経験しているものが、ソフトウェアによってリアルタイムに構成されているからだ。 つまり、私たちが動的なWebサイトを探るにしろ、テレビゲームをプレイするにしろ、携帯電話のアプリで特定の場所や近くにいる友達の位置を探すにしろ、私たちが関わっているのは、すでに定義済みの静的な文書ではなく、自分のデバイス上なりサーバ上で発生しているリアルタイムの計算の動的な出力である。 コンピュータ・プログラムはこうしたパフォーマンスをつくる様々な構成部品(コンポーネント)を使うことができる。 デザイン・テンプレート、ローカル・マシンに保存されたファイル、ネットワークサーバ上のデーターベースから取り出したメディア、マウス、タッチスクリーン、ジョイスティック、身体の動きからのリアルタイムの入力、その他のインターフェース。 したがって、静的な文書が関わることもあるだろうが、ソフトウェアによって構成される最終的なメディア経験は、通常なんらかの媒体に保存された一つの静的文書とはまったく対応していない。 換言すれば、絵画、文学作品、楽譜、映画、工業デザイン、建築物とは対照的に、批評家は作品のコンテンツ全てがおさめられている単一の「ファイル」を参照することができないのだ。

PDF文書を見たりメディア・プレイヤーで写真を開くといった単純な事例にみえることでさえ、私たちはすでに「ソフトウェア・パフォーマンス」と関わっているのである。 ソフトウェアは、文書自体よりも、その文書を航行、編集、共有する選択肢を定義するからだ。 したがって、小説、映画、TV番組を調査した20世紀の批評家のやりかたでのPDFファイルやJPEGファイルの調査は、ソフトウェアを通じてこの書類と関わりあっているときに得る経験について何かしらは伝えるだろうが、全てではない。 この経験は、ソフトウェアによって提供されたインターフェースとツールによって均等に形作られている。 このことが、現代メディアを理解するなら、カルチュラル・ソフトウェアのツール、インターフェース、想定、概念、歴史−−それらの概念のほとんどが定義された1960年代と1970年代の発明者の理論を含む−−の調査が不可欠である理由だ。

このメディア「書類」を構成するものの特質の変化は、この概念に依存している確立した文化理論に疑問を投げかける。 1950年代からのメディア研究が支配していた知的枠組みを考える。 コミュニケーション研究では、文化の「送信(トランスミッション)」的視座が発展した。 コミュニケーション学者は、クロード・シャノンが1948年の論文「通信の数学的理論」と、それに続く1949年にウォーレン・ウィーバーと出版した本によって定式化された情報送信のモデルを借り、その通信の基本モデルをマスメディアに適用した。 この枠組みは、メッセージを作って送信する作者とそれらを受け取る聴衆のあいだの通信プロセスとしてマスコミュニケーション(ときには文化全般)を説明した。 この枠組みによれば、メッセージはつねに、技術的な理由(送信時の雑音(ノイズ))や意味論的な理由(彼らは意図された意味を誤解する)のため、聴衆によって完全に複号化されることがなかった。

古典的なコミュニケーション理論とメディア産業は、そうした部分的受容を問題だととらえていた。 英国のカルチュラル・スタディーズの創始者、スチュアート・ホールは、影響力のある1980年の論文「エンコーディング/デコーディング」で、同じ現象を肯定的なものとして主張した。 ホールは、受け取った情報から自分の意味を構成する聴衆を提案した。 コミュニケーションの障害ではなく、新しい意味は送られたメッセージの意図的に再解釈する積極的活動である。 しかし古典的コミュニケーション研究とカルチュラル・スタディーズはどちらもメッセージは完全かつ明確であることが当然だととらえていた。 それが物理的媒体(磁気テープなど)に保存されているか、送り手によってリアルタイムに作られている(TVの生放送)のかに関わらず。 したがって、コミュニケーションの受け手は、広告コピーの全文を読み、映画の全篇を観て、歌の全部を聴いて、その後でしか、彼・彼女らは解釈し、誤解し、自分の意味を割り当て、横取りし、リミックスなどをすると想定されていた。

この想定は、1999年のタイム・シフトの現象を生んだDVR(デジタル・ビデオ・レコーダー)の導入によってすでに疑問視されていた一方、それはインタラクティブなソフトウェアに駆動されたメディアにはどうしても適用することができない。 Webブラウザ、検索エンジン、ワールド・ワイド・ウェブのハイパーリンク構造のようなメディア・アクセス・アプリケーションのインターフェースは、そして膨大な量のプレビュー再生や購入のメディア構成物を提供する特定のオンライン・メディア・サービス(Amazon、Google Play、iTunes、Rhapsody、Netflix等)のインターフェースは、人々に、メディア間ですばやく水平に移動(ある検索結果から次へ、ある楽曲から他へ等)したり、メディア構成物のなかで垂直に移動(音楽アルバムのコンテンツ・リストから特定のトラックへ等)したりする「ブラウズ」を後押しする。 それらは、かんたんに好きなところでメディアを再生/観賞しはじめたり、止められるようにした。 言い換えれば、ユーザが「受信」した「メッセージ」は、ただ彼/彼女らによって能動的に(認知的解釈を通じて)「構成される」だけではなく、(彼/彼女がどんな情報をどのように受け取るかを決定するという)能動的な処理もされているのだ。

ユーザーがメディア・コンテンツを提示するソフトウェア・アプリケーションを操作するときに、すくなくとも重要なこととして、そのコンテンツは多くの場合どんな固定された有限の境界も持っていないことがある。 例えば、Google Earthのユーザーは、アプリケーションにアクセスするたびに異なる「地球」を体験するだろう。 Googleは衛星写真を更新したり、新しいストリートビューを追加するかもしれない。 新しい3Dビル、新しいレイヤー、既存のレイヤー上の新しい情報の追加もあるだろう。 そのうえ、このアプリケーションのユーザーはいつでも、Addメニュー内の項目(Google Earth 6.2.1のインターフェース)を選択するか、KLMファイルを直接開くことで、他のユーザーや企業が作成した時空間データを読み込むことができる。 Google Earthは、Webが生み出した新しいタイプのメディアの典型的な例だ。 インタラクティブな文書は、事前に定義されたコンテンツを何も持たない。 コンテンツは時間とともに変化し成長する。

場合によっては、ソフトウェア・アプリケーション、Webサービス、ゲームなどのインタラクティブ・メディアによって「伝えられた」広義の「メッセージ」に、いかなる重要な影響を及ぼさないこともあるだろう。 例えば、Google Earthが備えている一般透視投影(地図投影法の一つ)を使った地球の表現の作図の慣習は、ユーザーが新しいコンテンツを追加したり地図レイヤーをオンオフしても変化しない。 この表象の「メッセージ」は、いつも存在している。

しかしながら、Google Earthのユーザーは、アプリケーションが提供するベースとなる表象に、既存の地理情報の上に複雑でメディア・リッチなプロジェクトを制作して、自分のメディアや情報を付加することができるため、Google Earthはたんなる「メッセージ」ではない。 それは、ユーザーを前提としたプラットフォームである。 そして、そこにはユーザーの20世紀の商業メディアの創造的再創作−−ポップアートとアプロプリエーション、音楽リミックス、二次創作、ビデオ等−−との連続性を認めることができるが、類似性よりも相違が大きい。

メッセージからプラットフォームへの移行は、2004-06年頃のWebの変化の中心にあった。 その結果は、Web 2.0と呼ばれた。 誰かが制作した特有のコンテンツを提示していた(つまり「メッセージ」を通信していた)1990年代のWebサイトは、ユーザーが共有できるソーシャル・ネットワークやソーシャル・メディアに置き換わった。 WikipediaのWeb 2.0の項目はこの違いを次のように説明している。 「Web 2.0のサイトでは、ユーザー(消費者)向けに作られたコンテンツを受動的に観ることしかできなかったWebサイトに対して、ユーザーが仮想コミュニティでユーザー生成コンテンツの創作者(プロシューマー)として、ソーシャル・メディア対話を通じて相互に交流、協働することができる。Web 2.0には、ソーシャル・ネットワーキング・サイト、ブログ、Wiki、ビデオ共有サイト、ホスティング・サービス、Webアプリケーション、マッシュアップ、フォークソノミーなどがある」。 Google Earthの例を続けると、ユーザーはフェアトレード認証、グリーンピースのデータ、国連ミレニアム開発目標の追跡など多くの種類のグローバルな意識の情報を付加した。 ほかにも、Googleマップ、Wikipedia、その他多くのWeb 2.0サイトの多くが提供しているコンテンツを自分のWebマッシュアップに直接取り入れることができる。 さらに、Webサービスが提供するコンテンツを直接取得し、自分の独自のプラットフォーム構築に使うこともできる。

様々なWebベースのコミュニケーション・ツール(ひろく使われているソフトウェアに関するオンライン議論フォーラム、Wikipediaの共同編集、Twitterなど)とともにWeb 2.0サービスの広範な普及は、ソフトウェア提供者による省略、選別、検閲などの「悪いおこない」を直ちに確認できるようになった。 また、Webベースの企業によって配信されるコンテンツは20世紀のマスメディアによるものとは異なるという特徴もある。 例えば、Web 2.0サービスについてのWikipedia項目には、いずれも論争、批判、過失に関する特別項がある。

多くの場合、人々は有料でロックされたアプリケーションの代わりとなるオープンソースの同等物を使うこともできる。 オープンソースおよび/またはフリーソフトウェア(すべてのフリーソフトウェアがオープンソースではない)は、多くの場合、コンテンツとソフトウェア付加物の両方を作り、リミックスし、共有する方法を提供している(このことはオープンソース・ソフトウェアが、つねに商用ソフトウェアとは異なる想定と技術を使っていることを意味しない)。 例えば、GoogleマップとGoogle Earthには、オープンソースでフリーソフトウェア・ライセンスのOpenStreetMap、Geocommons、WorldMapなど多くの代替サービスを選ぶことができる(興味深いことに、企業は、自社システムより豊富な情報をもつこうしたフリーの共同制作システムのデータをよく使っている。FlickrやFoursquareは、2011年初頭から34万人の貢献者を持つOpenStreet Mapを使用している)。 ユーザーは、オープンソース・ソフトウェアの想定と重要技術を完全に理解するために、そのコードを調べることもできる。

WebサービスとWebサイトのコンテンツは変化し成長しつづけている。 ナビゲーションとインタラクションの多様な機構(メカニズム)。 自分のコンテンツを付加したり、多様なソースのコンテンツをマッシュアップする能力。 共同制作、共同編集のための構造(アーキテクチャ)。 提供者を監視する機構。 これら全ての機構は、20世紀のメディア文書とは明確に区別された、インタラクティブでネットワーク化したソフトウェア駆動メディアのものだ。 しかし、(近年まれな状況だが)ユーザーが1つのコンピュータ・ファイルに保存された1つのローカルなメディア文書を扱っているとしても、ソフトウェア・インターフェースに媒介されたそうした文書は、20世紀メディア文書とは別物として認識される。 ユーザー経験は、そのファイルのコンテンツと組織によって部分的にしか決定されない。 ユーザーは、見たい情報や見たいシークエンスを選択するために、文書を自由にナビゲートできる。 そして、(20世紀の放送以外の)「オールド・メディア」もランダム・アクセスを提供していたが、ソフトウェア駆動のメディア・プレイヤー/ビューワーは、メディアを見たり何をどうアクセスしたりするかについての数多くの新しい方法を提供している。

例えば、Adobe AcrobatはPDF文書の各ページのサムネイルを表示できる。 Google Earthは現在の視点から素早く拡大・縮小できる。 ACM Digital Library、IEEE Xplore、PubMed、Science Direct、SciVerse Scopus、Web Sienceといった科学論文や梗概(アブストラクト)を収めたオンライン・デジタル・ライブラリー、データーベースやリポジトリーは、現在選択している論文を引用している論文を表示する。 もっとも重要なことに、これらの新しいツールとインターフェースは、(ランダム・アクセス可能な印刷された書物のような)メディア文書や(ラジオのような)メディア受信機そのものと固く結びついていないということがある。 その代わり、それらはソフトウェア層(レイヤー)とは分離した部分となっている。 このメディア構造(アーキテクチャ)によって、文書そのものを変更することなく、新しいナビゲーションや管理ツールをたやすく追加することができる。 例えば、シングル・クリックで、ブログに共有ボタンを追加することができ、そのコンテンツの新しい流通を開くことができる。 テキスト文書をMac OS Xのプレビュー・メディア・ビューワーで開いて、強調させたり、コメントやリンク、スケッチ、考えの吹き出しを追加することができる。 Photoshopでは、オリジナルの画像を変更することなく、分離した「調整レイヤー」上の編集内容を保存することができる、といった具合にだ。


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